蕎麦好きの独り言(2014.02.07up)

その参、「粗衣粗食」


今年の冬は昨年とは打って変わって雪は今のところ少ない。降るには降るが雨も多く儚く消える。はっきり言って雪が積もって楽しいのは犬とスキー場くらいで里では何にも良いことはないのだ。去年は完全氷結した二ノ滝、今年はまだらしい。
少雪とは言っても庄内の冬は厳しく寒い。風は下から吹き上げ海は波も荒く高いから漁船が出漁する機会は少なく大好きなお魚も少ない。
鮮魚店に行ってもあるのは真鱈が多く、なじみの店員さんからは「何でこんな日に買いに来るかなぁ〜(怒)」と言われる。

去年の秋にはイナダが大量発生し、とても安く手に入る日が続いた。二尺くらいのが一本300円くらいで手に入るのだから、魚屋さんはいくらでも持って行けと言う。人間なんて贅沢なものでありすぎるとだれも買わない。
真鯛も安く我が家で消化できるようなサイズは1000円しないのだった。同じ鯛でも金目鯛、石鯛、黒鯛なんてのも良く店頭に並んでた。刺身で食べて一番好きなのは石鯛だろうか、結構良い値段がついていたように思う。

庄内で磯釣りと言えばその対象は昔から黒鯛のみで、他の魚は外道と呼ばれ見向きもされないのだ。庄内竿と呼ばれる和竿が有名だが、作る人が少なく実際使っている人はあまり見かけない。物にもよるが一本数万円の値がつく、収集家も多いのではなかろうか。

三昔くらい前に釣りに填った時期があった。
庄内というところは釣り人にとっては良くできた地形で、海、川、山、沼と全て近場にあり、その気になれば何でも釣れるのだ。生まれもっての偏屈な性分は好奇心も強く、かつドケチなので金のかからない釣りに傾倒したのだが、元来山好きのため渓流釣りによく行った。今はどうか知らないが二時間くらいでイワナなんて食べきれないくらい釣ることができた。しかし段々魚影が薄くなりお魚よりも山菜の方に目移りし、面倒くさくなって釣りは止めてしまったのだが、釣ったイワナをその場で塩焼きにし、冷えたビールをやるのは最高の贅沢だった。

とは言っても昔から魚が好きだったかと問われれば答えはNOである。幼少期はむしろ苦手な食べ物であったが、好んで食べるようになったのはある程度齢を重ねてから、今では骨の髄までしゃぶり続けるほどの大好物となった。とは言っても自分でさばいて食べるようになったのは最近のことであり、主婦の方達が見たら笑われてしまいそうな腕なのだが結構填っている。

いつだったか試しに真鯛の小さいのを買ってきて調理したら、我が家の包丁の切れ味の何と悪いことよ、素人がいきなり高価な和包丁を購入して、なまくらにするような暴挙はケチな性分から出来なくて、最初にやったのは近所のホームセンターから砥石を買ってきて家の包丁を研ぐこと。これが結構楽しくて半日掛けて家中の包丁を研ぎ直した。家人に喜ばれると思っていたが、意外にもあまりの切れ味に間違って指を傷つけたと大目玉を食らう始末、分別過ぐれば愚に返る、普段あまりやらないことは…(笑)



研ぎ直した我が家のなまくら包丁



刃先のギラリとした光沢が男心を刺激する。
とは言ってもオラは
危ない人ではありません(汗)


今も昔も男という生き物は刃物が好きな方が多いように見受けられるが、ご多分に漏れず偏屈な筆者も同様で、ドツボにドップリと填ってしまいました。
こうなると寝ても覚めても頭の中はギラリと不気味に輝く包丁のことしかない。暇があればネットでいろいろ物色し始めたのは当然の末路、しかしドケチな性分ゆえに思い切った投資が出来ずに時だけが過ぎていった。ここは思い切って魚屋に転職して一から修行しようかと本気で考えたのも三日坊主、今は何故か蕎麦打ちに填っている顛末です。

とは言っても食いしん坊ゆえ、美味いものには目がなく最近では蕎麦に合う美味しいつまみは何かと考えることが多い。蕎麦屋に出向けばああでもない、こうでもないと自問する日々が続いたが、ある日に魚屋でヒラメの刺身を柵で売っていたので、勢いで買ってしまい、自慢の包丁で薄造りにして食べたらこれが何と蕎麦のつまみにぴったりなのでしたよ。
蕎麦屋で刺身を出す店なんて今まで行ったことも聞いたこともないが、お江戸の周辺の粋な店では出してくるのかも知れない。
それはそれは目から鱗でして、研ぎ直した包丁がやっとのことで活躍してくれました。

マグロなどの赤身の刺身は合いそうもないが、いろいろ試せばベストマッチを発見できそうでワクワクする自分を「やれやれ」と冷めた目で見ている別の自分がいる。
蕎麦打ちする時は面倒なのでいつも近所のスーパーから天ぷらなどを買ってきておかずにしていたのだが、少人数の家族ゆえ400gのそば粉を打った日には蕎麦だけでお腹がパンパンになりおかずに手を出す人がいないのだった。

世のドケチにおしゃれな人は希有で当然筆者も着衣に対する興味は全く無い。
いつも小汚い格好ばかりで家人に疎まれるが、どこかの流行作家のような小洒落たジャケットなど似合うはずもない。昔買ったよそ行きなんてメタボのためチャックが閉まらないのだ(汗)。
たまに山に登るときは20年前に買った山着が未だ現役、まあそれだけ山行が少ないのだが、伸びてダボダボの筈が何故かちょうど良く、流向の最先端を行くデザインだとうそぶく性格は、悪いことだろうがドケチのなせる技。
希に買ってくる着衣も農業経費で落とせるような物ばかり、呆れた家人が同行する際に惨めに思ったのだろう、買ってくれた服がありがたくて涙があふれる。

なんとかならんかなぁ〜 この性格…

やれやれ…